【ここがすごい!】バレーボール木村沙織選手 肩の柔軟性とスパイク力の関係とは!

【ここがすごい!】バレーボール木村沙織選手 肩の柔軟性とスパイク力の関係とは!

▼【ここがすごい!】バレーボール木村沙織選手 肩の柔軟性とスパイク力の関係とは!

1.木村沙織さんのプロフィール

名前:木村 沙織(きむら さおり)
生年月日:1986年8月19日(29歳)
出身地:埼玉県八潮市
身長:185cm
体重:68kg
血液型0型
指高:233cm
スパイクジャンプ到達点:304cm
ブロック到達点:293cm

2016年5月18日に行われたバレーボール女子リオデジャネイロ五輪世界最終予選の日本とタイの対戦はいろんな意味で衝撃的でした。

セットカウント2対2となり勝負の行方はフルセットへ!バレーボールは最終セットは15点で終了する。そんな中、日本は中盤でミスが続きタイが6-12と大差をつけられてしまう。

なぜかここタイミングでタイの監督が遅延行為によりレッドカードを主審より提示され1点が日本に入る。これで勢いに乗った日本が連続得点を重ねる。

 

更に終盤でタイの監督がレッドカードを貰い1点が日本に入り逆転に成功。今までバレーボールに関わってきて、レッドカードが出たのを数度しか見た事ないですし、ましてや1セットに2回も出るなんて・・・歴史的に見てもそうないのではないでしょうか。

 

いろんな意味で驚いた試合でした。

 

試合後、タイのバレーボールファンが日本選手などのSNSに誹謗中傷が殺到したとか。いやいやいや・・・自国の監督の自滅でしょ・・・死力を尽くして対戦した相手に対して誹謗中傷してどうするのはお門違いでしょう。

 

★幼少期

埼玉県八潮市生まれ。その後父親の仕事の都合で大阪、東京と転々とした後、東京都あきる野市の多西小に通う。

 

バレーボールをしていた両親(特に母親)の影響を受け、小学校2年生の時に秋川JVCに入団し、バレーボールを始める。

 

秋川JVCは守備練習中心のチームで、この頃レシーブ練習を数多くこなした事が、現在のレシーブ力に生かされていると本人は言っている。チームでは主にレフトを務め、小学校6年生時には東京新聞杯で優勝している。

 

小学校4年生の頃に「週末に思う存分友達と遊んでみたい」との理由で2週間ほどチームを辞めているが、バレーボールから離れたのはこの期間だけである。

★中学時代

中学校は名門、成徳学園中学校に進学。ここで大山加奈、荒木絵里香、大山未希など、以後チームメイトとなる選手達と出会う。

 

中学校入学時には163cmとさほど高くはなかった身長は、中学3年間で約15cmも伸びた。以後ポジションはセンターとライトを務める事が多くなり、主力選手として全日本中学校バレーボール選手権大会優勝、全国都道府県対抗中学バレーボール大会(アクエリアスカップ)でJOC杯受賞。Bクイックは得意技と言えるほどに上達し、プレーに幅が出た。

中学校2年生の頃、バレー人生で初の骨折(左手中指の付け根)。全治2週間と軽度だったため大事には至らなかった。

★高校時代

2002年、バレーの名門として知られる成徳学園高校(現・下北沢成徳高等学校)に進学。高校2年生になるとライトで主力選手となり、2003年春高バレーで優勝を収め、成徳の2連覇に貢献した。

 

同年8月開催のインターハイは3位に終わり連覇を逃したが、インターハイ閉幕と同時に全日本代表から強化合宿に招集され、同年9月のアジア選手権に出場。当初はセッター登録であった。

 

そして11月開催のワールドカップに故障の鈴木洋美の代役として出場した。12月の全国私学大会で下北沢成徳高は大会初の3連覇を達成。

 

2004年春高バレーでは大会3連覇を目指し決勝に進出したが、第1セット、スパイクを決めた直後に味方選手である横山友美佳と接触し転倒、右足首を捻挫。応急処置を施したのちに足を引きずりながらプレーを続行したが、結局九州文化学園に1-3で敗戦し準優勝であった。

2004年アテネオリンピック最終予選で再度全日本代表に招集され、初戦のイタリア戦で代表初スタメン出場を果たし、14得点をマークすると共に持ち前の性格とあどけない笑顔で「スーパー女子高生」の呼び名でブレイクした。全日本女子チーム2大会ぶりのオリンピック出場に大きく貢献した。

6月にインターハイ関東予選に出場したが予選敗退。全日本ヨーロッパ合宿に招集されイタリア4ヵ国対抗戦などに出場。7月からは1ヵ月にわたるワールドグランプリに出場するも、日本は予選落ち。目立った活躍は出来なかった。

アテネオリンピックは8月14日からの開幕であったが、腰の状態は最悪で立つこともままならない状態だった(アテネで他競技のトレーナーから椎間板ヘルニアと診断された)。そのため出場機会がほとんど無いまま、初めてのオリンピックを終えた。

 

しかし、決勝戦の中国対ロシア戦を会場で観戦し最高峰のプレーを目の当たりにした事で、初めてメダルへの執着心が生まれる。

オリンピック終了後、スリランカで開催されたアジアジュニア選手権に出場。2004年12月、高校最後の大会となる全国私学大会の頃には腰痛がさらに悪化していた。

 

決勝戦の第2セット終盤に出場するが、得点を決めることなく自身の高校バレー生活に幕を閉じた。

引用元:wikipedia

 

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2.木村沙織選手は天然でかわいい!

 

 

木村沙織選手はテレビでよく見かける機会が多いと思います。世界バレーなどが近づくと扱いがアイドルのようになりますね。木村沙織選手は「天然でかわいい」というイメージが強い人が多いのではないのでしょうか。

 

木村沙織選手が残した名言達

 

全日本監督の柳本監督に今まで言われた思い出に残っている言葉はと聞かれて、
「う~ん・・・忘れました!」

 

柳本監督も笑うしかないですね(笑)

 

高校自体に「何を考えてプレーをしていますか?」とインタビューされて、
「何も考えてないです!」

 

“天才”と呼ばれる所以でしょうか。一流のプレイヤーは試合中の事を覚えてない事が多いそうです。集中する為、必要な情報以外そぎ落とされることが理由です。

 

極限状態では「どこに打とう」「どうしたらスパイク決まるかな」などの思考さえ邪魔ということなのでしょうね。

 

バラエティー炎の体育会TVに出演した際、雨上がり決死隊の宮迫博之さんのことを、「今日は本当に宮こ・・・宮かす!」と言ってしまったとか(笑)

 

木村沙織選手なら宮迫博之さんも許すしかないですね(笑)とこのような天然なイメージが世間のイメージかと思います。

 

しかし選手としては超一流です!同じバレーボールをプレーしている者として非常に参考にしたプレーが多いので、その木村沙織選手の凄さをご紹介したいと思います。

 

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3.木村沙織選手 特徴 肩の柔軟性

 

木村沙織選手は身体がとても柔らかいです。木村沙織選手のスパイクの強味はこの柔軟性にあります。

 

①ストレートを向きながらギリギリの所でクロススパイクに変更できる

 

→ストレートだとブロッカーは判断してすそこをブロックで抑えにいきます。その動きを見てからクロススパイクに切り替えるのが木村選手の強味です。

 

相手が予測していないスパイクはブロッカーはもちろんの事レシーバーも拾う事が困難になります。

 

②クロススパイクとわかっても更にそこから超インナースパイクを打てる。

 

→クロススパイクを抑えたとブロッカーが抑えても、そこから更に内側クロスにスパイクを打つ事ができます。

 

木村沙織選手がすごいのは超インナースパイクに打てること自体ではありません。超インナースパイクに打てる選手はたくさんいますし、練習を繰り返せばある程度の高さがある選手なら習得可能です。

木村沙織選手はインナースパイクをスパイクを打つギリギリのタイミングで選択して打てることが強味です。ギリギリまでストレートに打つつもりでも、ブロックでコースを抑えられたらそこから超インナースパイクに切り替えてしまうのです。

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4.まとめ 木村沙織選手

攻守ともに要の木村沙織選手には次のオリンピックでも頑張って貰いたいですね。次世代の選手も育っていっているので今後がとても楽しみです。

木村沙織選手の方の柔軟性とコース選択の判断能力!

一石二鳥で出来るスパイクではないです。血のにじむような努力があったのでしょう。彼女は笑ってそれを乗り越えてきたのかもしれません。

 

バレーボールプレーヤーとして非常に参考になるスパイクですし、少しでもその技術が真似れるようになりたいものです。

 

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